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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)長門有希《ながとゆき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)俺的|回顧録《かいころく》
〔#〕:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)〔#地付き〕
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涼宮ハルヒの分裂
〔#地付き〕谷川流 イラスト いとうのいぢ
季節の移り変わりを何をもって実感するかは人それぞれだと思うが、この半年間の
俺《おれ》の場合、家で飼ってる三毛猫シャミセンの動向が最もわかりやすかった。
シャミセンが夜中に俺の寝ているベッドに潜り込まなくなったことで、俺はこの地
域に四季のうちで最高評価を与えてもいい数ヶ月がやってきたことを知り、だが猫
以上に季節に敏感なのは環境変動への対応に感心するほど正確に準じる植物たち
だろうとも思いつつ、あちらこちらで満開となった桜たちが、まるで全員が事前に
打ち合わせでもしていたようなスケジュール通りの散り様をそろそろ見せてくれそう
な四月上旬の空はクレヨンで塗り固めたように青く、太陽は続く夏への準備運動
のつもりか、やたら明るい日差しを地表へと降り注がせていたものの山から吹き下ろし
てくる風はいまだほんのりと冷たくて、俺の現在位置がそれなりの標高にあることを
教えてくれている。
やることもないのでひたすら上空を仰《あお》いでいた俺の口から、言っても言わなくてもどうでもいいような単語がこぼれ落ちたのは、やはりヒマだったから以外の理由はなかろう。
「春だな……」
なので、別に誰《だれ》かにリアクションして欲しかったわけでもないのだが、そ
ういう空気をちゃんと読んでいながらも意識的に無理矢理《むりやり》かぶせてくる
臨時隣人が、「疑いようもなく春ですね。そして学生にとっては新しい一年の始
まりです。カレンダーの上でも、年度的にも。そして僕の心情においてもね」
むやみに爽《さわ》やかな語り口調、まあ春と秋には似合っていると思ってや
ってもいいか。夏なら暑苦しいだけだし、冬にだって囁《ささや》き声を聞き取れる
ほど至近距離にいたい人物ナンバーワンは朝比奈《あさひな》さんくらいだからな。
俺が早くも上の空へと移行しつつ聞き流しモードに入りつつあるのを感じたのか
どうか、「高校生になって二度目の春を迎えたわけですが、私的意見を申し添えます
と、これが『やっと』と言うべきか、それとも『もう』と言うべきか、少々判断に迷
うところがありますね」
迷うことなんかあるものか。英語ならどちらもyetだ。過ぎ去った時間にあったことをいちいち全部覚えてなどいないから、振り返ったらたいていのもんは早く終わったように思えるし、これからあるようなことは知りようがないから早くも遅くもなく、いまやってることは内容によって、主に楽しいか否かで早かったり遅かったりを自分なりに感じていればいいのさ。少しは時計の身にもなってみろ。あいつらは文句も言わずに同じ秒数を同じだけカチコチいわせてんだぜ。たまに消した覚えもないのにアラームがオフになってて壁に投げつけたくはなるが。月
曜の朝には特にな。「まさにその通りですね。時計の針は我々に客観とは何かを教
えてくれる数少ないものの一つです。ですが時間を主観的にしか感じ取ることのできない人間にとって、それは指針の一つでしかないものでもあるんです。より重要なのは、その一定の時間内に自分が何を考え、どう実行したかなんですよ」
「やれやれ」
俺はゆるやかに形を変えようとしている雲の観察作業を中断し、隣へと首をひねった。
相変わらずな微笑《びしょう》がそこにあり、その持ち主である古泉一樹《こいずみいつき》の存在を表していたが、まあ飛行機雲と比べることもなく眺《なが》めていて目の肥やしにも毒にもならない日常の風景に過ぎず、そんなものを眺めていても何ら得るものもないと考えた俺は、顔を正面に向けることを実行した。
ただ、
「俺の私的意見を申し添えておくとだな」
中庭の光景を存分に網膜《もうまく》へ投射しつつ、耳を傾けている気配のある古泉に、
「やっぱり、やっと来たかって感じがするぜ」
そこら中に群れている新入生たちの真新しい制服を目で追いながら、俺は脳裏《のうり》に録画された懐かしい映像が眼窩《がんか》で再生されるのを感じていた。
そしてこう思うのだ。
一年前の二年生たちは、一年前の俺たちをこういう感覚で見ていたのかね──なーんてことをさ。
◇◇◇
俺がこの高校に入学したのは学区割りという制度の仕業《しわざ》だが、そこから涼宮《すずみや》ハルヒという未確認移動物体と出会っちまったと認識するヒマもそうそうに、電波で素《す》っ頓狂《とんきょう》な自己紹介を聞かされて、何だこいつはと思っているうちにあれよあれよとハルヒ時空に引きずり込まれ、あげくにSOS団と称する謎組織の一員に加えられた結果、とうとう本物の宇宙人未来人超能力者的存在と邂逅《かいこう》まで果たし、それだけならまだしもそれぞれが持ち寄ってくる宇宙人未来人超能力者的イベントに強制参加させられた
かと思えば、一方でハルヒが突然思いつく道楽にも付き合わされまくるという、いやまったくもう、この一年間で俺の経験値は天井知らずだ。半端な中ボスなら片手で倒せるんじゃないかと思えるくらいさ。
「習慣ってのはたいしたもんだな」
登校時のしつこいまでに長い坂道にもすっかり慣れちまい、慣れるにしたがって起床時間が遅れていって、今やギリギリまでベッドと同一化を図っている俺だったが、学校に慣れ親しむという意味では、俺だけでなくハルヒだって滝を上り終えた鯉《こい》が龍《りゆう》になったくらいの変化を遂げていた。
現時点のハルヒを写真にとって、ちょうど一年前のハルヒに見せてやりたい。お前は来年、こういうふうになるんだぜ、と予言めいた声色《こわいろ》とともに。
ま、仮にできたとしても、やっぱり俺はしないんだろうが。
「僕も同意見ですよ」
古泉は目を半分閉じるように細め、わずかに唇の端《はし》を上げて腕と脚を組んだ。
「ああ、習慣に関してです。地球上の至るところで生活していることからも解りますが、もともと人間は順応性に富んだ生物です。大概の環境に適応できてしまうんですからね。しかしそれも良し悪しだなと最近思うのですよ。一つの状態に慣れきっていると、不意に起こる突発的な事態の発生について行きにくくなる、とね」
何の話だ。ハルヒのことなら、突発的でないほうが少ないだろ。
「ええ、それはそうなんですが……」
古泉にしては珍しく言葉を濁《にご》す様子である。何か言いたいことがあれば尋《たず》ねてもいないのに喋《しやべ》り出すこいつのことだ、ここで追及してまた小難しい話を聞かされてはたまらない。
何か言いたげな古泉の視線を振り切るように俺は無言で首を振り、ヤツとは反対側へ視線を転じた。
「…………」
無言というなら御神体《ごしんたい》レベルに無言の輩《やから》となっている小柄なセーラー服姿が、微風にそよそよと髪を揺るがせていた。
いわずと知れた長門有希《ながとゆき》、SOS団の誇る神秘なる宇宙的秘密兵器──ってより、今は文芸部部長というほうが場に相応《ふさわ》しい肩書きだろう。俺と古泉同様、長門も学習机と椅子《いす》をこの中庭に運び込み、ただし俺たちから数メートル離れた位置で黙々と読書をしている。なんか哲学者と画家と音楽家が環《わ》になっているとかいうようなタイトルのその本は、例によってコンクリートブロックみたいに分厚い。
俺は中庭から部室棟を見上げた。先程部室へと駆けていったハルヒと、そのハルヒに引っ張っていかれた朝比奈さんはまだ戻ってこない。このまま今日一日戻ってこなくともいいくらいだし、そのほうが誰にとっても幸せだろうが、そうもいかんだろう。
さて。
状況説明が遅れたな。端的《たんてき》に言おう。新学年、新学期が始まって数日が経過した今はその放課後だ。この日、俺たちは中庭に机と椅子を持ちだしてきて、片隅にスペースを作っている。同様のことを他の二、三年生もやっており、ただし全員ってわけではない。
人混《ひとご》みの中にはコンピュータ研究部の連中の姿も見える。長テーブルにパソコン数台を陳列し、ディスプレイで何やらCG的なシロモノを映しているようだ。いつぞやの宇宙艦隊SLGではなく、妙にパステルチックなデザインの、どうやら占いソフトじみたもののようだな、あれは。日和《ひよ》ったかコンピ研部長。もっとも三年に無事進級したらしい部長氏がいるのは確認できたものの、今でも部長職に留《とど》まっているのかまでは知らん。どうでもいいっちゃあ、いいが、後で長門に訊《き》いておくか。
他の場所に目を移すと、そこかしこに得体の知れないグループがひしめきあっているのが見て取れる。中には聞いたこともなかったけったいな同好会やら研究会の名があって、そんな発見をして俺はますますどうでもよくなる。もともとこんな行事に俺たちが付き合っている由縁《ゆえん》など、まったくないはずなのだ。
曲がりなりにも理由があるのは、実は長門だけである。
俺はもう一度、瀬戸物《せともの》のように無口な読書好き娘を見やった。
全体的に離れた位置でポツンと席に着いている長門の机の前には、『文芸部』と墨痕《ぼっこん》鮮やかな明朝体《みんちようたい》で書かれた半紙がセロテープでとめてある。気まぐれな春風に半紙がそよりと揺れるたび、長門の美容院とは無縁そうなショートヘアも同じようにゆらゆらとし、本人は外界《がいかい》から隔絶《かくぜつ》されることを望んでいるような静けさで、本のページから目を上げようとはしなかった。
もうお解りだろう。
文化系クラブ──特に弱小な部──による仮入部受付兼部活説明会。
現在、この中庭でおこなわれているのはそのような式典であった。運動部系はそれぞれ体育館やら運動場で受付やってるし、さほど勧誘活動をせずとも勝手に部員が集まりそうな吹奏楽部や美術部も各自自前の教室で網を張っている。ここにいるのは、宣伝しない限り存在や活動内容がもう一つ不鮮明な研究部以下同好会以上が主だった。
おっと、言うまでもないと思ったため言い忘れていたが、SOS団の人員やその関係者はめでたく全員が普通に進級を遂げている。俺とハルヒと長門と古泉は二年生になり、朝比奈さんは三年生になった。一年分の思い出が染みついた一年五組の教室とはおさらばすることに若干の郷愁はなしとは言えなかったが、何、二年生になってもこれといった違いはなく、ちなみに俺はまたもやハルヒと教室を同じくすることになって、始業式の新二年生初顔合わせの時、クラスの俺の背後席に鎮座していたのは紛うことなき涼宮ハルヒの倣岸不遜《ごうがんふそん》な中に
も複雑さを交えた得意のカモノハシを擬態《ぎたい》したかのような口だった。
「何よ、これ」
と、ハルヒは新クラスメイトたちを舐《な》めるように睥睨《へいげい》してそうのたもうた。
「一年の時とほとんど顔ぶれ変化なし状態じゃないの。もっと大胆にシャッフルされんのかと思ってたのに」
喜んでいるのか不平を露《あら》わにしているのかどっちかにしろと言いたかったが、この時ばかりはなんとなくハルヒに同意したかったね。なぜなら俺とハルヒは二年五組に編入され、谷口《たにぐち》と国木田《くにきだ》もなぜかいて、おまけに担任は生徒思いで知られる岡部《おかべ》教諭だったのである。ちょこちょこと見覚えはあるが名前の知らないヤツも交じっていたが、構成要素のほとんどは旧一年五組を引き継いでいた。何でも、この時期に早くも理系重視を決め込んだ連中をまとめるとちょうど一クラス分だったらしく、八組がそいつらの受け
皿となった代わりに、それまでの八組は解体され、他の七クラスに細切れにして放り込まれたらしい。あと、極少数が一見無意味な感じにこっちからあっちあっちからこっちへと移動されてるな。担任岡部が律儀に生徒全員自己紹介をさせたのは、そのマイノリティたちへの配慮だったかもしれない。
もちろん俺はクラス分けにささやかな疑念を覚え、疑惑の徒《と》となって、事態の裏側あたりで暗躍を遂げそうな人物に質問をぶつけてみた。「お前らの計らいか?」
結果的に得られた答えのうち、
「ちがう」と長門は単調な声で告げた後、「たまたま」とまでダメを押してくれ、
「何も仕組んでなどいませんよ。学校当局の意向でしょう。少なくとも『機関』はこの件にはノータッチを決め込んでいます」と苦笑混じりに断言したのは古泉だった。「偶然でしょうね」
どうやら本当の話らしい。
偶然を必然に変えてしまう女の名を一人ばかり知っていたが、俺がつべこべ言うこともない。
そういや朝比奈さんと鶴屋《つるや》さんもまたクラスメイトになったのかね? そうだったとしたら、そっちは鶴屋家が何かしてくれてそうだが、それもまたツッコムことでないさ。教室や学級は違えど、どうせ放課後になりゃあ全員が集う場所は同じなんだしな。
俺が気にしているのは──そして気にするべきなのは、もっと違うところにあった。ひょっとしたらいま俺が目にしている新入生の中にあるのかもしれない。
宇宙人の知り合いならできた。未来人の先輩も得た。この一年で最も会話した男が超能力者だったことも認めなくてはならん。
だが。
あの日、あの時、東中《ひがしちゆう》出身者以外の五組の生徒を唖然《あぜん》とさせたハルヒの自己紹介、その語りぐさとなった文言の中にあって、まだ登場していない肩書きがあるのを忘れるわけにはいかなかった。
異世界人。
うむ。そんなものが居て欲しくなどないが、欠けているように思うのもそいつらだ。でもって、俺たちは滞《とどこお》りなく進級し、一年生の座が空《あ》いている…………。
「やれやれ」
俺は肩凝りをほぐすように首を動かし、新一年生の監視任務を始めた。
有望そうなのを発見したらすぐさま確保──それが団長殿の命令だったからな。ところでハルヒの言う有望なやつとは、いったいどんな解りやすい姿形をしてんだろうね。
ついでに言っておこう。二年五組の初授業開催時の自己紹介で、涼宮ハルヒは一年前と同じ語句を繰り返したりはしなかった。代わりに、清々《すがすが》しいほどの良く通る声で、
「SOS団団長、涼宮ハルヒ。以上!」
ふてぶてしさを思わず笑顔とともに俺の後ろ髪を大いに振るわせ、それだけ言って着席した。
それで充分だろう、と言わんばかりに。
そしてまあ、すべてのクラスメイトにとって、それは充分なことだったのさ。涼宮ハルヒとSOS団の名を知らない人間は、もうそこにはいなかったからだ。
いるとすれば──。
俺は前年度まで三年生のものだったスクールカラーがサイドに入った上履きを履き、中庭を闊歩《かっぽ》する脚の数々を見るともなしに見ながら考える。
こいつらの中にしかないだろう。
◇◇◇
葉桜《はざくら》の時期に差し掛かっているソメイヨシノのかたわら、俺と古泉、ちょっと離れて長門、の三人が無為なるひとときを過ごしていると、蝟集《いしゅう》する生徒たちをかき分けることもなく、まるでエジプトを脱出するモーゼのようにこちらへと向かってくる人影が目についた。
見覚えのあるツラの男子で、俺がここで無為なことをするハメになっている遠因とも言うべき人物だ。さっそうとブレザーの裾を翻し、時折舞う桜の花びらの中を歩いてくる姿は、すっかり板についた似非《えせ》権力フェイスだ。俺まで三文芝居の書き割り舞台上にいる気分になるぜ。
「ご無沙汰《ぶさた》だったな」
生徒会長は俺たちの前で立ち止まると、渋い声でそう言った。
あいにくだがこっちはそんなにご無沙汰じゃない。始業式の全校朝礼で長々と訓示を述べていた顔をそうそう忘れたりはしないさ。
「それは何より」
シナリオのト書きに書いてあったような動作でズレてもない眼鏡をくいっと直し、信者の集まりに不満を抱いている教主のような面持ちで、
「団長はどこかね。一つか二つ、あるいはそれ以上のクレームをつけてやろうとわざわざ足を運んでやったのに、キミたちの首領の姿が見えないが」
さあ、どこにいるんでしょうね。俺はあいつの秘書でもマネージャーでもなんでもないんで、せわしない同級生の居場所など分単位で把握してなどいねーんですよ。
「致し方ないな。それではキミに問う。キミたちはここで何をしているのかね」
黙っていたら古泉が答えるかと待っていたのだが、なぜかSOS団きっての優男は春ボケしたかのように微笑をくれているだけだったので、
「見て解りませんかね」
投げやりに返答した俺を、会長閣下は鉄仮面じみた表情で見下ろし、
「無論、一目で解るとも。ここがどこで、キミたちが何者かを思えば、考えるまでもなく出てくる答えだ。尋ねたのは、私の予想を超えた計画を企てているのではないかとわずがながら想定していたためだ。そうか、ないのか。ならば、私が次に言うべきセリフもすでに解っているな」
それこそこちらの想定していたものと一字一句相違ないだろうからな。むしろハルヒがいる時に来てくれたら話がスムーズだったのに……。
って、待てよ。どうしてまた会長はハルヒもいないのに慇懃無礼《いんぎんぶれい》ポーズを崩さないんだ? 現生徒会長は古泉によって強引にでっち上げられた『機関』の傀儡政権《かいらいせいけん》じゃなかったのか。
それともあれか。周囲の目をはばかったポーズなのか。しかし俺たちのいる一角は中庭の外れだから、聞き耳でも立てない限り会話を聞き取られる心配などなさそうだし、数メートル横に席をしつらえている長門の耳には届くだろうが、長門に聞かれて困る話なんてCIAかNORADの上層部しか知らないような情報ぐらいだ。
そんなつもりもないのに俺とにらみ合う形となっていた会長殿下は、ふっと唇を歪《ゆが》めると、真横に視線を逸《そ》らして渋い声で、
「ここはもういい。文化系は一通り見て回った。喜緑《きみどり》くん、キミは先にグラウンドへ行っていてくれたまえ。私もすぐに行く」
「はい」
その短いセリフを聞いて、俺は初めてそこにいた人物を認識し、思わずゲッとか言いそうになったのをすんでに飲み込み、解りきっていた言葉を吐き出していた。
「……喜緑さん?」
「はい」
律儀に彼女は応答し、上品にお辞儀をした。
声を聞くまでまったく目に入らなかった。その事実に俺は驚愕《きょうがく》を隠せない。まるで会長の影に同化していたのが発声と同時に実体化したかのような、それほど突然出現した印象を受ける。
SOS団依頼人第一号にしてコンピ研部長の元彼女、今は生徒会書記職にある喜緑|江美里《えみり》さんは、絵画に描かれた貴婦人のように微笑《ほほえ》み、ペコリと一礼する。あっけにとられたまま、つられて俺も頭を下げた。
……ははあ、会長の気障《きざ》ったらしいポーズの原因はこれか。喜緑さんには本性を隠しているってことなのか。そんな必要ないと思うんだが。
それにしても、会長と書記がワンセットのようにして登場するのは、いったいどこから来た風習なんだろうな。少しは会計や副会長にもスポットを当ててやれよ。
「お望みとあらば、そうしよう」と会長はまた眼鏡を押さえる。「ただ、ウチの会計が何か言いたそうにしていたのは、そちらの文芸部部長についてだったがな」
それについては俺も古泉の伝《つて》で小耳に挟んでいた。前年度、まだ春休み前にあった生徒会指導による各クラブの予算分配会議に関しての一件だ。部員一名とは言え文芸部はれっきとしたクラブなので、その代表者もまたその会合に出席していた。それは誰かというと、当然ハルヒではなく長門有希である。ハルヒは最後まで代わりに出るか、長門についていくか、ともかくその場に行きたそうにしていたが、文芸部室を違法占拠している当の首謀者がそんなところに出向いても場をいたずらに攪拌《かくはん》するのみであり、最悪、乱闘になりかねない。
むくれつつも俺と古泉の諫言《かんげん》を受け入れ、ハルヒは敵国に人質を送り出す戦国武将のような面持ちで音もなく歩き去る長門の後ろ姿を見送った。
そしてまあ、一時間ほどして戻ってきた長門は、部員が最低人数しかいない休眠も同然の部活としては破格の部費をぶんどってきたのである。
いったいどんな手品を使ったのか、何が起こったのかは誰も解らなかったという噂だった。なんでも長門は、会議室のテーブルに静かに着席していただけで一言一句たりとも発せず、ただ生徒会会計の目をじっと見つめるのみだったそうだ。毎年のように紛糾《ふんきゅう》し長時間化するのが恒例の予算分配会議は、例外的に穏便に進行し何一つ荒れることなく終了したと聞いている。
会長は自分の手柄を誇るように、
「もっとも、会議とは名ばかりで、ほとんどは私と喜緑くんが作製した予算案に従ったものになったのだがな。にしてもだ。予想はしていたが、文芸部だけがイレギュラーだった。ああ、別に今さらとやかくは言わん。予算に応じた活動をしてくれたら私も文句はない。していなければ文句をつける。もう終わったことだ」
会長の口上をこじんまりと聞いていた喜緑さんが不意に、
「それでは会長、わたしはこれで」
「ご苦労、喜緑くん」
喜緑さんは最後にまた俺たちに一礼し、新芽のような笑みを投げかけてからグラウンド方面へ姿を消した。かすかに百合《ゆり》のような芳香をのこして。
この間、長門と喜緑さんの間に視線の応酬は一瞬たりともなかった。さすがは似たもの同士、言語に頼らない会話方法を習得済みなのかもしれない。長門が本からまったく顔を上げなかったせいもあるかな。
「本題といきたいところなんだが」
会長はするりと眼鏡を外し、指先でぶらぶらさせながら、
「あの女がいないのに話を進めても仕方がない。いつ戻ってくる?」
まもなくでしょうよ。朝比奈さんの衣装チェンジにそう時間がかかるとは思えない。
「いいだろう。待たせてもらうことにしよう」
それにしてもこの会長、やけに様になっている。まるで三年前から会長をやっていたような風情だぜ。
「我ながらな、生徒会の仕事など、面倒なだけだと思っていたんだが……」
会長はニヤリとし、やっと正体の片鱗《へんりん》を鉄面皮から覗《のぞ》かせた。
「やってみるとこれが存外面白い。教師どもや執行部の連中相手に会長を演じているとだ、」
パシンと片手で頬《ほほ》を叩《たた》き、
「どっちが本当の俺だったか時々忘れそうになる。別人格になりきるってのも悪くないな」
「ペルソナを被《かぶ》り続《つづ》けるのは結構ですが」
ここでやっと、古泉が重たげに口を開いた。
「顔にはめた仮面に本体を乗っ取られないでくださいよ。ミイラ捕りがミイラになったり、猫被りが猫になったりするとは往々にしてよくありますから」
「迷宮に取り残された盗掘者はミイラになどならん。ただ屍《しかばね》をさらすだけだ。そして猫の寿命は人間より短い」
会長は猛禽類《もうきんるい》的な笑みを見せ、眼鏡のレンズを袖で拭《ぬぐ》って再び鼻の上に戻した。
「心配するな、古泉。俺は上手《うま》くやるさ。ただし──」
眼鏡を掛け終えた会長は、本人でもどっちが地だか解らないというのも納得の完璧な生徒会長へと変化し、
「あの脳内花畑女の首紐《くびひも》をつけておくのは、キミたちの役目だ」
会長が視線を向けるその先、部室棟の出入り口から姿を現したのは、春の到来を確信して喜び浮かれる森の動物のごとき我が団長と、春の妖精《ようせい》が暖かな日差しとともに具現化したようなSOS団専属メイドのお姿だった。
◇◇◇
ハルヒは片手に段ボール箱、もう片手に朝比奈さんを抱えて笑顔満面だったが、会長の姿を発見するや、解りやすいな、きりりと眉を吊り上げた。
「ちょっとちょっと!」
大股《おおまた》でずかずか歩くハルヒに腕をつかまれているため、朝比奈さんがあわあわとするのもかまわず、
「はっはーん、やっぱりね。思った通りだわ。あたしがいない時を狙って来たわけね。でもおあいにく様。あたしたちは生徒会にイチャモンつけられるようなことを何一つしていないんだからね!」
いやぁ……それはどうかな。お前はいったい中庭で何をおっ始めるつもりなんだ。
「あ……会長さん」
コマドリのように目をパチクリさせる朝比奈さんがメイド衣装なのは別にいい。それは空き地にネコジャラシが生えているくらい見慣れたいつもの光景だからな。
「おいハルヒ、お前」と俺。「なんて格好してやがる」
さすがにそれは俺も初めて見るぞ。いつのまに用意してたんだ?
しかして、ハルヒは傲然《ごうぜん》と胸を張り、
「文句あんの? チャイナドレスのどこに問題があるっていうのよ」
言葉の通り、ハルヒはスリットから伸びる脚も目映《まばゆ》い、ラメ入りで昇り龍の刺繍《ししゅう》がデカデカと施されたスカーレッドのロングドレスを身につけていた。おまけにノースリーブ。
登場と同時に雄叫《おたけ》びを上げるもんだから、すでに中庭にいた生徒たちの視線を独り占め状態だった。同じようにメイド朝比奈さんも衆人環視のハメに陥《おちい》り、恥ずかしそうにもじもじしている姿は、できれば俺の目用に寡占《かせん》化しておきたいところだ。独占禁止法など知ったことか。
「そりゃパーティ会場にいたら問題もなかろうが、ここは学校で、しかも大勢の新入生の前だぞ。少しは場をわきまえろよ」
常識論で諭《さと》しにかかる俺に対し、
「わきまえてるじゃない。だからこれにしたのよ。本当はバニーガールでいいかなって思ったんだけどさ、またうるさそうだしと思ってチャイナドレスにしたこのあたしの配慮をありがたく受け取ることね!」
そう言ってハルヒは挑発的に指を会長につきつけようとして、両手がふさがっていることに気付いたらしい。朝比奈さんを解放し、段ボールを俺の机にどすんと置いて手を払い、改めて指差しポーズ、
「ありがたく受け取ることね!」
言い直しやがった。
だが、会長もさるもので、
「そのような配慮は配慮と言わん。当然、学内の風紀を預かる生徒会長としては毅然《きぜん》として受け取るわけにはいかない。ところで五十歩百歩という言葉に聞き覚えはないかね。あるいは似たり寄ったりでもよいが」
「それが何よ? ドングリの背比べって言いたいの?」
「いや。私としては未来への希望に満ち溢れて我が校に来た若人にいらぬ混乱を与えたくないだけだ。中でもいたいけな男子生徒の劣情《れつじよう》を催《もよお》すようなものは許し難い」
「劣情って何? 片腹痛いわ。いい? 制服だって体操着だって催すヤツはどうしたって催すのよ。あんた、あたしたちに素っ裸で授業受けさせる気?」
ヘリクツにもほどがある。果たして会長も、
「話にならん」と吐き捨てる。
「いいじゃないの。生徒の自主性を重んじてもらいたいわね。放課後くらい、あたしたちが着たい服は自分で選ぶわ。これで登下校するって言ってるんじゃないんだし、いいわよねえ? ね、みくるちゃん」
「え、あ、はい。これで下校するのは、そのぅ」
朝比奈さんは小さくプルプルと首を横に振り、ハルヒのチャイナさん姿をまぶしそうに見て、どこか羨《うらや》むようにほうっと息を吐いた。着たいのだろうか?
まあ、朝比奈さんとそろってバニーガール化し校庭でビラをまいていた去年に比べたらムカデなみの進歩と言ってもいいだろう。肌の露出範囲が格段に狭いからな。しかしながら、新入生を相手にした行事で新二年生と三年生がコスプレしてんのはどうかと思うぜ。しかも何の意味もなさそうとあってはなおさらだ。
「意味ならあるわよ、ちゃんと。ほら、今だってすっごい目立ってるでしょ?」
だから目立つことにそもそもの意味がないと言っているんだ。
ハルヒはまじまじと俺を見つめ、俺がクジラの浮上気配を感じ取ったオキアミの心境になっていると、ぴょんと跳ねるように黙々と読書中の長門の背後へと回った。
「キョン、あんた忘れてんじゃない? あたしたちは何しにここに来ているんだっけ? 二秒で思い出しなさい」
えーと。
「はい終わり」
ハルヒは俺にコンマ五秒の時間しか与えず宣言し、顔の前で指を振り、その手を冷凍処理されたかのように不動の長門の肩に置いた。
「あたしたちはね、有希の手伝いに来てんのよ。決してSOS団の新入団員勧誘のためじゃないわよ。そのへん、ちゃんと解ってなさいよね!」
と、会長に向けて言った。言及された長門本人はパラリとページを捲《めく》るのみ。
「ふむ」
ここでたじろいだりしないのが現会長の特性だ。眼鏡のツルを人差し指で触れてから、
「涼宮くん、つまりキミは文芸部に籍を置いていないにもかかわらず、文芸部の部員集めを買って出ているということかね」
解りやすく要約してくれて助かる。
「そうよ」
ハルヒはますます胸を反《そ》らし、今度は俺と古泉のいる机を指し示した。
「ほら、二人とも机を並べて座ってるだけで何もしてないでしょ。SOS団なんて書いた紙も貼《は》ってないし、春眠が暁を覚えないせいでキョンはいつもよりアホ面だし」
最後の文章は余計だろうよ。
「ほう」
会長は顎《あご》を引いて眼鏡を意味なく光らせつつ、
「では涼宮くん。キミが持ってきたその箱に入っているプラカードと思《おぼ》しき物は何かね」
「プラカードよ」
ハルヒは段ボールから突き出ていた棒の柄を握りしめ、思い切りよく取り出した。
白いペンキを塗られた木の棒の先に、これまた白く彩色されたベニヤ板が二枚張り合わされていて、そこにはハルヒの手によって『文芸部』と書いてあった。手頃な木の切り出し組み立てペンキ塗り他の雑用が俺に回ってきていたのは言うまでもない。
「ほらほら、文芸部でしょ。みくるちゃんにこれ持って立ってもらうの。放っておいたら有希は積極的で的確なアピールなんかしないからね」
これは本当だ。クラブ紹介の時間は一年生の時間割に組み込まれていて、先日それはおこなわれたらしい。らしい、というのはそこにSOS団の介入する余地はなく、呼ばれる理屈もないため、召集されたのは文芸部部長、長門だけだ。講堂に集められた新入生の面々が体育座りする前の壇上、そこで長門は割り当ての時間をめいっぱい消費し、世界各地の主要都市の気温を読み上げるような淡々としたニュース口調で『大脳生理学的見地から読み取る言語の不完全性と対話者間における意思伝達』というテーマの論文を発表し、文芸部のぶの字もでなかったのはも
ちろん、それ以前に序章が終わったあたりで一年生の半分は睡魔にのっとられていたとかなんとか。その催眠術じみた説法の最中、文芸部に入ろうと思っていた人間がいたとしても確実に忌避《きひ》したうなるような倦怠感《けんたいかん》が講堂を支配したという。長門有希恐るべし。
だが長門はいっこうに気にしなかった。今日も放置しておけば部室にこもって読書を続けているだけだったろう。放っておかなかったのがハルヒである。
新入部員募集イベントなんておいしい出来事を、ハルヒのツムジ付近に生えている見えざるセンサーが無視してのけるはずはない。
だが待てよ。繰り返すがSOS団は正式には未認可であり、今なお秘密結社も同然の学内非合法組織である。公に団員募集などできるわけはない。以前のハルヒなら堂々としてたかもしれんが、今年度からは生徒会長の目が生き生きと光っている。では、どうやったらこの日を楽しく遊べるだろう。
こうしてハルヒの頭上でレジスターが高らかに鳴り響き、俺たちは急遽《きゆうきよ》文芸部ボランティアとなって春宵《しゆんしよう》一刻千金な花冷えの候《こう》、今日というこの日を中庭にてぼんやり過ごしている。
──と、いうのが表向きの話であるわけで、当たり前だが裏もある。
それは生徒会長にも容易に計算できる事態であったらしく、
「そのプラカード、裏面も見せてもらおうか」
「いいわよ」
ハルヒはニンマリと笑って、手首を返した。『文芸部』の裏側は──もちろんリバーシブルでも『文芸部』だ。SOS団なんて書いてあろうはずもない。
「準備万端というわけか。まあよかろう。キミの言いぶんは一応だが倫理に叶《かな》っているところがないでもない」
会長は眼鏡のブリッジを押さえつつ、
「妥協は性分にあわんが、下手に騒ぎを起こされるよりは格段にマシといえる。他の部の迷惑にならんよう、大人しく黙って日没までそこに突っ立っていてくれたまえ。私は視察でいそがしいのでな。強引な勧誘、入部の強制は厳禁だ」
それは運動部にも言うべきだな。しがない県立高校だ、どこも有望な部員不足に困っている。
「もっともだ。そうさせていただこう。最後に尋ねたい。文芸部の部員を募るのはいい。それで、部員が集まったらどうするのかね。場所を明け渡すのか?」
「あんたの知ったことじゃないわ」
上級生にタメ口以上なのは二年になっても相変わらずのハルヒだった。ふん、とばかりに横向いたハルヒに、
「ふむ。それだけだ。では、またな」
会長|猊下《げいか》はハルヒのチャイナドレスと朝比奈さんのメイド服をフィルムに焼き付けんばかりの眼光でしばらく眺め、やがて悠然と喜緑さんの後を追った。
何しに来たんだ。ハルヒに向かってするなと何度も言うのは、逆に「やれ」と言っているようなもんなんだぜ。ほらハルヒのヤツ、すでに上機嫌のあまり爆笑しそうな顔になってるじゃないか。
「うまくいったわね。ちょろいちょろい。ちょろろんよ」
会長が見えなくなるのを待っていたハルヒは、持っていたプラカードをがつんと地面に突き刺し、板に張ってあったベニヤをばりばりと引っぺがした。この工作に一枚|噛《か》んでいる俺は驚かない。あわれな『文芸部』の文字は単なる木屑《きくず》と化し、その二重となっていた板の奥から出てきた文字は疑いようもなく──。
SOS団。
去年の五月──あれは何日だったっけな──に結成された『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』は、まだしばらく名称を変更することなく健勝の運びになるようだ。
◇◇◇
ハルヒの持参した段ボールの中身は手製のプラカードだけではなかった。
プラカードを朝比奈さんに押しつけたハルヒは、中華風ロングドレスの裾《すそ》をはためかせながら、奇術師のアシスタントであるかのように次々と物品を取り出していく。
まずは液晶モニタ、次いでDVD再生機、各種コードやらケーブルやらアダプター類、そして最後に購買で入手したまっさらの大学ノートと筆記用具。
「さあ、設置設置」
と、ハルヒは俺をせっついた。
「これ、ちゃんと映るようにしなさい」
中庭にコンセントなどないが、電源の確保交渉はハルヒが事前におこなっていた。ここで逆らっても無為の上に無益を重ねるだけだ。俺は言われるままにケーブルを携え、コンピ研ブースへと赴いた。
「すみませんが、電気貸してくれますかね」
「いいとも」
応じてくれたのは部長氏だった。どうやら今でも部長職に留まっているらしく、胸元の入館証みたいな手製のスタッフバッヂにそう書いてある。
「まだ下の者が心許《こころもと》なくてね」と部長氏はなぜか自慢げに、「一学期いっぱいは部長をしていることにしたんだ。いや一応部長候補は考えてある。これからじっくりと育て上げ──」
長くなりそうならまた今度にして欲しいね。この分だと、他の部員はとっとと引退してくれたらいいのにと思ってるかもしれんな。
「あぁ、実はねえ」
部長氏はやや声をひそめ、手の甲で口元を隠して早口言葉のように、
「長門さんに兼部してもらって、そのついでに部長もして欲しいところなんだ。僕の見た中で世界最強にコンピュータと相性のいい逸材だよ。どんな不具合もバグもシステムエラーまで長門さんがスイッチを入れるだけで魔法のように消え失せるんだ。たまに来たときにいじってもらうだけなんだが毎回驚きの連続さ。彼女専用の自作パソコンがあるんだけど、瞬く間にメーカー真っ青なオリジナル新型OSの開発に成功してしまった。ところがいくらソースを見てもまったく未知のコードで彼女以外の誰にも扱えない。これが試したすべてのハードのソフトを完璧《
かんぺき》に動作させる驚異のコンパチスペックで、いったいどういう仕組みなのかと──」
そんな長々と俺に言われても、それが長門だとしか言いようがないな。個人的な依頼なら本人に直接懇願してやってくれ。きっと教えてくれると思うぞ。ただし地球人には何ら理解できないような気がするが。
俺はケーブルの先端をプラプラと振る。正しく察してくれた三年生にしてまだ現役の部長氏は、快く延長コードのソケットを貸してくれた。ハルヒによるコンピ研SOS団第二支部化は着実に進行しているようで何よりだ。どこかで歯止めをかけておかないと、地球の全大陸が砂漠化するより先に人類総SOS団員化が成し遂げられるかもしれん。いくらなんでもホモ・サピエンスはそこまで馬鹿《ばか》になってないと信じたい。
ソケットにプラグを突き刺し、巻いていたケーブルを伸ばしながら戻ってきた俺を、ハルヒはフリスビーを取ってきた犬を迎える主人の顔で出迎えた。
ニコヤカなのはいいことさ。とりわけ古泉にとっては──と思って目をやってみたところ、自称エスパー少年はそれほど嬉《うれ》しそうにもしていなかった。机に肘《ひじ》をついて指を組み、口元を隠すように顎を載っけているその反応、何の思惑があってのことだ? さり気なく横目で長門を見ているような様子も気にかかる。
なんだ? SOS団所属の連中は順番に情緒が不安定になるという法則でもあるのか? 今度は古泉の番か? 勘弁しろよ。長門や朝比奈さんはともかく、お前だけは自分を見失ったりしないと確信してたのに。
古泉は俺の不審に気づいたのか、ゆっくり視線をこちらに向けると目を細くした。安心させるように微笑《ほほえ》んだようでもあるが、どこか作り物めいた気配を感じる。
理数コースの九組にいたこいつは、そのままゴンドラに運ばれるようにクラスメイトまるごと二年九組になったはずだから、気にくわないヤツが紛れ込んだこともなかろう。
ハルヒはいつものように元気だし、古泉が気に病む事態になっているとも思いがたい。『機関』とやらの上司にバイト代の減額でも申し渡されたのだろうか。だったら何よりじゃないか。お前がヒマなのは俺がヒマである以上に喜ばしいことだと思うんでね。
それか新学期早々、新一年生の女子たちから下駄箱《げたばこ》にラブリーな封筒を投げ込まれて困惑しているんだとしたら、俺の同情する余地はシャミセンの抜け毛ほどに無用のものとなるぜ。なにしろ古泉は黙って立っていたら問答無用で異性の目を引きそうなツラをハルヒと並んでしていやがるからな。
「キョン、さあ早くこのテレビを映るようにしなさい」
ミス・チャイナ選手権最優秀賞受賞者みたいなハルヒがプラカードを振り回しながら笑顔で命令、唯々諾々と従う俺を手伝いに、古泉も腰を上げてやってきた。そのままDVD再生機と液晶モニタをつなぐコードをあれこれいじくり回している最中、古泉は一見普通の微笑を浮かべる一方で、だがしかし、俺に奇妙な印象を与え続けていた。
何でまた、俺にちらちらと微妙な視線を送ってくるのだ。残念ながら俺は長門と朝比奈さんのアイコンタクトは受け付けても男に見つめられて意図を理解するだけのスキルはないぜ。
AV機器を何とか正しく配線し終え、俺が投げやりな終了報告をすると、ハルヒは魚群を発見した漁師のようによしよしとばかりにうなずいて、
「さってと」
箱を漁《あさ》ってディスクを一枚取り出した。嫌々のように口を開けた中古のレコーダーに放り込み、自分ちの呼び鈴を押すような気安さでプレイボタンに人差し指をあてがう。
途端、液晶モニタに胡乱《うろん》な映像が浮かび上がり、どっかで聞いたような音楽がスピーカーから雨漏りのように染み出した。
朝比奈さんがビクッと、
「あー……」
切なげな吐息を漏らし、おずおずと画面からは目を逸《そ》らす。そのいたいけな仕草にたちまち男気を喚起された俺は、
「ハルヒ、あんまりボリュームを上げんな。会長が聞きつけてまた戻ってくるぞ」
「かまやしないわ。あたしはあんな奴ちっとも気にしてないから」
してやれ。
「なんならここで公開討論会をしてもいいくらいよ」
それはするな。
「もうっ、うるさいわねバカキョン」
ハルヒは目と口を逆三角形にするという器用な表情を作り、
「あんたと古泉くんはここで待っててくれたらいいわ。後はあたしとみくるちゃんで何とかするから」
朝比奈さんの腰に手を回し、ぐっと引き寄せつつ、ニマァと笑う。
「ひゃぁ」と朝比奈さんはへっぴり腰。
ハルヒはメイド姿の新三年生に頬ずりしながら俺をギロリと睨《にら》んだ。
「いい? 面白そうなのが寄ってきたら確保して名前とクラスをメモってからリリースしなさい。それからウチは映研じゃないからそっち志望者は追っ払っといて。いいわね!」
一方的に申し付けると、ハルヒは朝比奈さんを強引すぎるエスコートでもって引きずりつつ、中庭周遊の旅に出た。
「やれやれ」
俺は肩をすくめてSOS団プラカードを地から抜き放ち、椅子の後ろに隠してから、モニタが解像度の限りを無駄に尽くして映しているシロモノを眺めた。
すなわち、『長門ユキの逆襲 Episode 00予告編』なる、電力と機材とデジタルデータを無駄に消費しているとしか思えない短編映像を。
◇◇◇
新学年新学期の前には春休みなる長くもない休暇期間があったわけだが、当然の振る舞いとしてハルヒが新年度の訪れをただ座して待っているわけではなかった。
たぶん、球技大会と阪中《さかなか》の犬事件が終わったあたりから着々と計画を練っていたのだろう。夏や冬と比べて課題の少ない春休みこそ、まったり過ごすにうってつけの期間だというのに、SOS団団員はほぼ毎日のように召喚されて、ハルヒが思いつきのように指差す先の場所へとトマホークミサイルのように巡航することになったのである。
いろいろ行ったぞ。アンティークショップ巡りやらフリーマーケットの下見やら、その帰り道に阪中家を訪問してルソーのご機嫌をうかがったり、それから鶴屋家の広大な庭で開催された大花見大会に招待されたり、ああ、あれは楽しかったな。鶴屋さんが指をパチンと鳴らしただけで母屋から山のような宴会料理が次々運び込まれてきた時にはたまげたが。
とにかくハルヒは呼ばれたところには必ず行き、呼ばれていないところへも乗り込んで、初春の大気を力いっぱい吸いながら俺たちを東奔西走させた。なぜ途中で息切れしないのか不思議でならない。
その中で、とりわけハルヒが熱意を注いだのは去年の文化祭で上映した『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』の続編だ。サブタイと思ってたほうが本タイトルだったことにも驚き打たれが、来年度の文化祭に向けての活動を二年になる前から本当に準備しようなどと気の早いことを企《たくら》むとは思わなかったよ。
こうして再びメガホンを取ったハルヒは新調した腕章を装着すると、部室の片隅に眠っていたビデオカメラを俺に押しつけるや否や、おもむろに朝比奈さんを剥《む》き始めた。俺と古泉、即座に回れ右。
タイトルロールを飾っている人物こそ長門ユキだが、主人公は引き続き朝比奈ミクルが務めるらしく(主人公は古泉イツキじゃなかったっけ?)、ところでミクルの正体は未来から来た戦うウェイトレスなのであるから、朝比奈さんがまたしてもあのセクハラな衣装を身にまとうのはハルヒ監督的には最早《もはや》必然の流れだ。これまた制服姿に鍔広《つばひろ》トンガリ帽子と黒マントを装着した長門は星マーク付き指し棒を持たされ、古泉はレフ板を持たされた。
なんとも都合のいいことに、春なら桜が咲いているから前回の続きにすんなり入れるってわけだ。一年の間に二回も咲かされた川沿いの桜たちには同情を禁じ得ない。
しかしなぜ「予告編」なのか、春休みなのに俺たちを部室に集合させたハルヒはこう切り出した。
「あんた、予告編に騙《だま》されたことってある?」
何の詐欺行為だ、と問い返す俺にハルヒは、
「映画の予告編よ。よくテレビとか劇場で別の映画の直前とかに流れてるでしょ? それ観てさ、うわっ面白そうって思ったりするじゃない。で、その面白そうな映画をワクワクしながら観に行ったら、これが全然スカみたいな映画なのよ。たとえばね、」
たとえなくてもいいのだが、ハルヒは俺でも知ってる昔の洋画のタイトルを口にして、
「これなんか予告編見る限りではメチャメチャ楽しそうで笑えそうな映画だったのよ。実際、コマーシャルだけで、あたし、何度か笑っちゃったもん。だからね、封切りと同時に小躍りしながら観に行ったわ」
と、ハルヒはオーバーアクション気味に首を振り、
「もうまったく面白くなかったわ。なんでならね、その映画の中で面白かったシーンを全部抜き出して繋いだのが、まさにその予告編だったわけ。面白いところだけを、もう映画が始まる前から知ってて、おまけに面白いシーンがそれだけしかなかったのよ。どう思う?」
俺に言われてもな。その手のクレームは配給会社に電話でもしてやってくれ。きっと予告編担当部門とかがあって、そこの社員が優秀なんだろう。
「いくら宣伝のためとは言え、良いところを全部出して編集するのはどうかと思ったわ。だからね、キョン!」
ハルヒは例のキラキラ輝く天の川銀河を閉じこめたような瞳《ひとみ》で、
「先に予告編だけ作ってて、本編はそれから考えるのよ! 予告用のショートムービーならいくらでも面白くできるわ。だってオチとかいらないし、見せ場だけ用意すればいいんだからね。と、いうわけよ」
そういうわけなので、本編も存在しないのにその予告編を作ることになったのである。ハルヒも二作目をどんな話にするか考えていなかったのだ。しかし、その映像を新入団員勧誘のエサの一つにするつもりでいた。でも肝心の本編がない。どうしよう。うーん。そうだ、じゃあ予告編を撮ろう!
なんちゅう直球な思考回路だ。まだ『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』をDVDに焼き増しして売りさばく野望を捨てていないとみえる。前作のダイジェスト版でも編集して流せばいいのに、チラッとでも見せたら損だと思っているようだ。あるいは観たければ入団せよと言うつもりか。あんなん通して観ても頭痛がするだけだぞ。朝比奈さんのPVとしては百二十点だが……。
俺は野外にわざわざ持ってきたモニタをチラ見しながら、もとの椅子に尻を戻した。
画面がしぶしぶのように上映しているのは、パロディと言えば聞こえがいいが、要するにいろんなところからパクってきたシーンのオンパレードだ。
蛍光灯みたいなボンヤリ光る棒を構えたイツキに、ユキが脈絡もなく「わたしはあなたの母」とか言い出したり、いきなりユキが眼鏡をかけている状態では一般人だが外すとやにわにコスチュームチェンジして空を飛んだり、黒い棺桶《かんおけ》をゴトゴトと引きずって荒野を歩いていたり、いよいよネタ切れに陥ったかシャミセンとミクルの人格が唐突に入れ替わって朝比奈さんはずっと「にゃ、にゃあ」を連呼するばかりであったり、そのシャミセンの声はハルヒのアテレコで、もちろん口の動きがセリフと全然合っていなかったり、というかシャミセンは口
を開いてさえいなかったり──などなど、一見みどころがありそうで実はまったくストーリーになっていないシーンのドミノ倒し、次々様々に舞台も役者も変わるのに、やたらとテンポが悪いのはカット割りがノーセンスなせいだ。とどめに特撮シーンはわざとかというくらいにショボく、気まぐれに挿入される音楽はもうはっきり騒音の域に達していた。
出演する必要もないのに和服を着た鶴屋さんが日本家屋庭先の桜並木をバックに気前よく「のわっはっはっはっ」と笑い、なぜかついてきていた俺の妹とシャミセンが戯れているところに至っては単なるホームビデオレベルだ。ことのついでとばかりに花見の時に意味なくカメラを回していただけだからな。バカ映画の風上にもおけないこの単なるゴミ映像集、見直すまでもなく確実に一作目より悪化している。ウェイトレスルックの朝比奈さんが飛んだり跳ねたりするあたりは、さすがに朝比奈みくるプロモーションとしては成功していたが、だいたいこれが映画
の予告編であると何人が気づくであろう。ラストに入るハルヒのナレーション、「長門ユキの逆襲、今秋文化祭にて一斉公開堂々上映予定!」という雄叫びを除けば。
一つ訊いていいか? 前作で宇宙の彼方に飛ばされたユキはどうやって、また地球に戻ってきたのだ?
「それはこれから考えるわよ。新たな敵もね!」とハルヒ超監督はのたもうた。
つまるところ、まだ考えていないのだ。見切り発車を超越し、これではほとんど詐欺フィルムである。こんなもん観て興味をもってやってくる新一年生など、こちらから願い下げだ。
ハルヒのチャイナ服や朝比奈さんメイドに目を眩《くら》ませられる凡人どもにもな。
かくして、中庭をうろつく一年生たちも中坊を脱して義務教育を離れた身分になっているのは制度上の問題のみではないらしく、俺と古泉が雁首《がんくび》並べて冴《さ》えない表情をしている机を遠巻きにするだけで、寄ってこようとはしない。
キミたちの評判は沈没船からいち早く脱出しようとするネズミのごとき賢明さだ。健康的でまともな高校生活がどれほど幸せなことなのか、ここに溢《あふ》れている若人どもは知るまい。だが俺は知っているので忠告するにいささかのやぶさかも感じないんである。この年頃の一年の差はアゲハチョウの幼虫の四|齢《れい》から五齢くらいの違いがある。たとえ遊び半分でも、地雷原疑惑のある草原を歩いてはいけないのさ。人間、分別が肝心だ。
俺はハルヒ企画による駄《だ》映像のボリュームを落とし、また横を向いた。
「…………」
長門が省電力中のノートパソコンのようにスタンバイしている机にも他に人影はない。ハルヒに代わって喜ぶべきかどうか迷うところだが、創作的な文芸活動に興味のある一年生は未《いま》だ登場せずか。
文芸部が昨年度にやった唯一の活動、古泉の操作で会長がたくらみ、まんまとノセられたハルヒが指揮をふるって俺たちに作製させたあの会誌は、うっかりほぼすべてを無料配布してしまったせいで残部がゼロになっており、長門の着いている机に置かれている一冊がサンプルとして閲覧《えつらん》可能になっているのみだ。俺も含めて寄稿《きこう》した連中には見本で一部ずつ配られていたが、せっかくもらった物を拠出する気になれなかったのは全員が等しく抱く心意気だったようで、誰も手放そうとはしなかった。谷口なんかあんだけブウブウ言ってたの
にな。
よって新たに誰かが会誌を読もうとしたら、いつもは部室の長門文庫の中にあるそのサンプルを手に取るくらいしかない。
飽くなき探究心を手元の書物に向けている長門をぼんやりと眺めていると、
「…………」
長門はゆっくり顔を挙げ、無色透明な光を持つ瞳を俺に向けた。あまりにも自然な動きだったため、しばらく目が合っていることにも気が付かなかった俺が我に返ったタイミングで、
「ねこ」
その微風のような声が、長門の唇からこぼれたものだと察するのにも一秒ほどの時間がかかった。俺は長門の定規のように真っ直ぐな視線を受け止めつつ、
「猫が何だって?」
「どう」
「どう、とは?」
長門は少し考え込むようにしてから、ただし頭の位置をまったく変えず、
「どう?」
さっきのセリフがわずかに疑問形になっただけだが、了解した。
「シャミセンのことか」
小さめの頭がこくりと傾く。
「そう」
「元気でやってるよ。今んとこ、喋り出す気配はない」
「そう」
それだけ言って、長門はまた読書に戻る。
我が家の聞き分けのいい三毛猫を心配してくれていたのか。確かに得体の知れないナントカいう、ええと、もう一度言ってくれないと思い出せない名称を持つ共生体なるものの宿主になっちまってるシャミセンをそうしたのは長門だしな。
とりあえずアレ以降、我が家の飼い猫はエサの食い過ぎと運動不足で少し重めになった以外に変化はない。存分に猫的生活を謳歌《おうか》すること、ハルヒが拾って俺に押しつけて以来そのままだ。
空煙り猫肥ゆる春、という時候の挨拶《あいさつ》を思いついたがどうだろうか。俺も春休みには猫みたいにぐうたらしていたかったぜ。
「実に慌ただしい春休みでしたね」
古泉が慨嘆《がいたん》口調で呟《つぶや》いた。
視線を虚空《こくう》に泳がせていたので、独り言かと思って俺が流していると、
「そう思いませんか?」
尋ねてから、こちらへ向き直った古泉の表情に浮かぶ笑みは、俺の目がどうかしたのか、どこか疲れて見えた。
古泉は前髪を緩慢《かんまん》に弾《はじ》きつつ、
「どうもしていません。あなたの目は正常です。そうですね、僕はやや疲労気味です」
そりゃハルヒに付き合っていれば大抵の正常な人間なら疲れもするさ。
「一般的な意味ではありません。僕の正体と任務を覚えていますか? 僕が何のためにここにいるのか、という根本的な理由です」
最初はハルヒの監視で、今は太鼓持ちだろ?
「失礼ですが、僕が超能力者であることをお忘れではないでしょうね。そして、僕の能力がいつ、どこで、誰が、どのような状態の時に発揮されるのか、ということもです」
散々聞かされたから覚えているさ。お前の正体告白を聞いたのは長門と朝比奈さんのそれの後だ。いわばSOS団団員中で最も新しい情報と言える。
「それはよかった。話が早くすみます」
古泉はわざとらしく安堵《あんど》したような息を吐き、声をひそめて、
「実はここのところ睡眠不足が続いていましてね。深夜や明け方に目が覚める日常が続いています。否応《いやおう》なしにです。そのせいでどうも調子が回復しないのですよ」
夜眠れないのなら昼学校で寝ろ。授業中の五分間の睡眠は通常の一時間に相当すると言う話だぜ。
「別に不眠症にかかっているわけではないのでね。それに、問題は僕の内にはないんです。もうお気づきのはずですよ。お互い、知らない仲ではないのですから、回りくどく韜晦《とうかい》するのは違う話題のときにしましょう」
古泉の細めた目に潜む眼光は珍しく真剣だった。いつもはお前の話しぶりのほうがよほど回りくどかろうに、少しは人のふり見て我が身を直す気分になったか。しょうがないな。知らない仲ではないというのは真実だ。長門や朝比奈さんと比べたら、もう一つ信用には足らんヤツだが。
「閉鎖空間と?神人《しんじん》?か」
古泉の超能力とやらが発揮されるのは大体そこだ。
「ご名答。ここのところ出現頻度が高まっているんです。春休み以降から、今日に至るまでね。正確には春休み最終日からですが、おかげで僕のアルバイトはここ連続して時間を選ばず、二十四時間態勢シフトに入っているというわけです」
自嘲《じちょう》するような吐息を漏らし、
「慣れていたつもりだったんですよ。?神人?退治は僕たちの日常茶飯事でしたからね。義務だったとも言えます。しかし、この一年ですっかり鈍ってしまったようですね。昨年の涼宮さん、SOS団結成後の彼女は、それ以前に比して飛躍的に精神を安定させていましたから。特にあなたが涼宮さんとあそこから戻ってきた以降は特にね」
発生頻度が減少してるってのは、そういえばクリスマス前に聞いたな。まだイブを迎える以前、俺が谷口の彼女できた自慢を聞いたあたりに。
その代わりに別のヤツが、もっととんでもないことをしたりしたが……。
「いや、ちょい待て」
俺は不条理な気分を味わいつつ、
「古泉、お前、さっきのハルヒを見なかったのか。この上なく上機嫌だったじゃねえか。物理的に地に足が付いてないんじゃないかと思ったぜ。あいつの上靴には羽が生えてんじゃねえか? それにだ、あのトンチキな異空間と青い巨人は、あいつがストレスを抱えたり行き詰ってクサったら出るもんなんだろ。ハルヒがあんだけ走り回ってて退屈そうでもないのに、それじゃ理屈にあわねーぞ」
「確かに僕の目にも涼宮さんは元気いっぱいに見えますね。ヒマを持て余しているわけでもない。ここで一つ、春休みの最後の日に起きた出来事について思い出していただきたいのです」
いままでずっとこ回想してたんだが。
「思い当たるフシがないと? そんなはずはありませんね。だとしたら、まだ思い出すことは残っていることになります。しかもとびきり重要なことをね」
古泉は肩をすくめ、マヌケな回答者に最終ヒントを出す司会者のような口ぶりで、
「春休みの最後の日です。涼宮さんの無意識レベルの変化が起こったのはその日からですよ。さて、何がありました?」
また無意識かよ。ハルヒの無意識と古泉の精神医学的ハッタリにはいつも悩まされるが……。
「フリーマーケットに行った日だろ。ハルヒが今度はフリマに参加したいと言い出して、その下見に電車にまで乗って隣の隣の市まで──」
「電車に乗る前ですよ。僕が指摘したいことは」
いちいちうるさいな。
俺は目を閉じ、またもや回想の海へと漕《こ》ぎ出でた。
◇◇◇
ハルヒがバザールだかフリマがどうとか言い出したのは、春休みに入ってそうそう、映画第二弾予告編撮影準備中の部室でのことだった。
朝比奈さんをウェイトレスに着替えさせ、長門に占い師兼魔法使い用帽子とマントを着用させてクランクインキャンペーンよろしくメイン二人を並ばせた前で、ハルヒは黄色いメガホン片手に立ちふさがりつつ、部室を自主的に追い出されてようやく戻ってきた俺と古泉を振り仰いで言った。
「この部屋、ちょっとモノが増えすぎたと思わない? 探したんだけど、この前作った監督の腕章がどっかにいっちゃってたのよ。他の荷物に紛れてるだけかもしんないけど、そろそろ備品を整理する頃合いかしら」
いらんもんをカラスのようにどっからか拾ってくるのは主にお前だろうよ。長門は本だし、朝比奈さんは茶器から茶葉、古泉はロートルなゲーム各種だけで、かさばる物の大方はハルヒが持ち込んできたものに限定されている。
ハルヒはどっかりと団長専用椅子に腰を下ろし、
「あたしさ、イベント告知のチラシとか配ってたら絶対もらってくることにしてんのね。で、ちょっと前にこれもらったの忘れてたわけ」
机の中から紙切れを取り出す。
「フリーマーケットのお知らせよ。ちょっと遠いけど、特急に乗れば十五分くらいのところだわ。できれば今すぐ応募したかったのよね。でも今あたしたち色々いそがしいし、申し込みの審査にも時間かかるみたいだし」
俺たちがいそがしいのはハルヒがそうしたがってるだけだからなのだが。
ハルヒがひらひらさせているチラシを受け取り、俺は自分の椅子に座った。フリーマーケットね。この時期だから在庫一掃処分セールみたいなものか。
俺がハルヒに新たな出がけ先を入れ知恵したペーパーを睨《にら》んでいると、
「お茶です」
目の前のテーブルに、コトリと俺の湯飲みが置かれた。
素晴らしきかな朝比奈さん。映画用ウェイトレススタイルでもお茶くみを決して忘れないその慎《つつ》ましやかな笑顔と優しさに俺は涙腺《るいせん》が緩《ゆる》みそうになる。メイドではなくウェイトレス姿で給仕されるのも新鮮でいい……って、本来こっちの仕事のほうが格好には合っているんだよな。普通、ウェイトレスは宇宙人と格闘したりはしない。
「うふ。この衣装も、その、外に出ないのなら可愛《かわい》くていいんだけど」
朝比奈さんはスカートの裾《すそ》を気にするように脚を合わせてから、嬉しそうに盆を抱き、また急須と湯飲みの元へパタパタと小走り。そのまま全校の朝比奈ファン垂涎《すいぜん》、彼女の小間使い姿を見ることができるのは世界広しといえども文芸部室だけである。ついでに、魔女ルックで読書にふける長門を目に納められるのもな。一応写真に撮っておきたい光景だ。
俺が目と喉《のど》の渇きを存分に癒《いや》す作業に没頭していたところ、
「ちょっとキョン!」
五秒でお茶を飲み終えたハルヒが、湯飲みを音高く机に置いて立ち上がった。本当にいそがしいヤツだ。
「今回は無理だけど、次はあたしたちも商品を持って参加するわよ。いまのうちに家の押入れをあさって、高く売れそうな要らない物を用意しておきなさい。何かあるでしょ? もう使わないのに捨てられなくて死蔵されてるコレクションとか、もらったのはいいけど封も開けてない贈答品とか」
ガキの頃、雑誌の懸賞で当たった見たこともないアニメロボのプラモ一式とかでいいのか? 大量に送ってくれたものの、組み立てるのが面倒でそのまま放りっぱになってる。
「そういうのでいいのよ」
ハルヒは俺の手からフリーペーパーをひったくるように取り戻し、丁寧にたたみつつ、
「プラモデル? それだってあんたに作られるより上手な人の手に渡るのが幸せに思うわよ、きっと」
ガキ向けの難易度低いプラモより、コンピ研から戦利品としてせしめたノートパソコンを出品してはどうだい。高く売れるぜ。
「それは大事な備品よ。そろそろコンピ研を呼んでアップグレードさせなきゃね」
次にハルヒの矛先は、湯飲みを両手でもってふうふうと息を吹きかけている朝比奈さんに向いた。
「みくるちゃんとこにもいっぱいありそうね。着古した服とか無駄に集めた食器とか。しょっちゅう買い物行ってるみたいだし」
「あ、ええと」
朝比奈さんは麗しい目を見開いて、
「そ、そうですね。ついつい可愛くて買っちゃうんです。けど、着てみたら似合わなかったり、変な味だったり……。えと、どうして解るんですかぁ?」
「イチコロで解るわよ。だってみくるちゃん、店先を一緒に歩いているときキラキラした目で『今度これ買いに来よう』ってトランペットを欲しがる子供みたいな電波を出してるもの。よくお小遣いが保つわね」
ぎくっとする朝比奈さんだったが、ハルヒは早くも別人へと槍先《やりさき》の方向を変え、
「有希んちには本がたくさんありそうね。フリマで古本市を開いたらいいわ。この部室の本棚ももうギュウギュウ詰めだしさ。床だって、こら。もう底が抜けそうよ」
「…………」
長門はゆっくりと首をねじってハルヒを見、さらにねじって本棚を眺め、おまけに俺を一瞥《いちべつ》して読書に戻った。
長門が自分の蔵書を手放すとは思えないし、それに長門の家には本がたくさんあるんじゃなくて、たくさんの本しかないと言うべきではないかと頭で単語の入れ替えを試みている俺に、
「キョン、そんときにはカートを持って有希のところまで取りに行くのよ。箱詰めの手伝いもね」
長門は再び首をひねって俺を注視し、俺はその目に浮かぶメッセージを幻視する感覚に襲われた。あれはいつだっけ。ああ、中河のバカからアホな電話があった頃合いだから冬休み中だな。部室の年末大掃除にて、長門は本棚に溢《あふ》れる本の処分について完全ノーコメントを貫いていた。家の自室に置いてある本だって一冊たりとも失いたくないはずさ。
「そうですねえ」と古泉が湯飲み片手に、「せっかく持ってきても対戦相手がなかなか見つからないゲームばかりですしね。この際、僕のコレクションから外してもいいかもしれません」
苦笑いみたいな表情を俺に向けるのは遠慮してもらいたい。
ハルヒはせわしなく団長机に飛び乗るようにして座ると、
「そういうわけでみんな、春休み最終日の予定は空けておくのよ。フリマの下見に行くからね。ついでに面白そうなものがあったら部費で買っちゃいましょ」
その部費がSOS団のものではなく、文芸部の割り当て分であるのは言うまでもない。
──てな感じで。
わざわざ学校がしばらく遊んでいいぞ、と門を閉ざしている休暇中だっていうのに、ハルヒ率いるSOS団は午前中いっぱいを惰眠で過ごす時間を与えられることはなく、あちらこちらをウロウロした春休みの最後の日も、すっかり集合場所として定着した駅前に向かう次第となった…………。
◇◇◇
「ようやくそこに辿《たど》り着いてくれましたか。もしやあなたの記憶から抹消されているのではないかと不安だったんですよ」
あの日のことを俺のメモリーから消去して誰が得するんだ。
「損得勘定では推し量れないことですが、できるものなら僕が消したかったですね」
おかしなことを言う。古泉に記憶操作されるいわれなどまったくない。だいたい、そんなことができるのなら、まずまっさきにハルヒの頭をどうにかしろよ。
「おっしゃるとおりです」
そんな悩ましげに言うな。だいたい、ハルヒのことで頭を悩ますなんて人生の無駄遣いだぜ。
「そうはいきません。涼宮さんの悩みには、僕の悩みでもありますからね」
古泉は小さく降参するように手を広げ、俺は回想に戻った。
◇◇◇
フリーマーケット当日の朝、俺は目覚まし時計の雄叫びに従ってベッドを抜け出した。
後ろ髪が引かれるとはまさにこのことだ。温かい寝床を後にして自分だけ起きるのもシャクだったが、心地よさそうに朝寝を貪るシャミセンの寝顔を見ていると毛布の中から引っ張り出すのが気の毒に思えてならず、俺は孤独に一人で階下へ降りていった。
台所を覗《のぞ》くと、
「あっ、キョンくん。おあよーう。ヒャミはーぁ?」
妹が焼いたパンを口に詰め込みながら訊いてきた。
俺は冷蔵庫を開けて麦茶のボトルを出し、コップについで一息で飲み干してから、
「寝てる」
「キョンくんのパンも焼く? あ、目玉焼きあるよ。みずやの中ー」
「頼む」
と俺は言い残し、洗面台に行く。戻ってくると、妹は食パンをトースターに突っ込み、ハムエッグの載った皿を電子レンジに入れているところだった。特にかいがいしいというわけではなく、ただこの手の操作をするのが面白いと思っているだけである。
ちなみに明日付けで小学六年生十一歳となる予定の妹の本日の予定は、ミヨキチの家にお呼ばれして夜まで帰ってこないというものになっていた。今もさっそく妹なりにおめかししたよそ行きの格好で、到底同い年同学年と思えない姿形をした友人が迎えに来るのを待っている。
ところでそのミヨキチだが、三日ほど前、道でバッタリ顔を合わせたときには驚いたね、少ししか目を離していなかったはずなのに、わずかの期間でますます美人ぶりな成長に磨きがかかって俺の妹と並んで歩いていたらこれがもう五人姉妹の長女と末っ子にしか見えない。いったい何を食わせたらここまで違う具合になるのであろう。
いや、本当に、ミヨキチが妹だったら俺の部屋に勝手に来て無断で物を持っていったりしないだろうし、朝はもう少し上品な起こし方をしてくれるだろうし、触り倒されて逃げるシャミセンをドタドタと追いかけることもなさそうだし、なぜ俺はミヨキチの兄として生まれなかったのか考えれば考えるほど──
◇◇◇
「自慢の彼女の話はけっこうです」
古泉は目の前に落ちてきた桜の花弁を摘《つま》み上げつつ、いやにキッパリと言った。
「吉村美代子《よしむらみよこ》さんを妹に持つものは幸いかもしれません。違う方向から見ると、あなたの妹さんにも充分な素質があるという意見も出るでしょう。しかしながら、今は別人に関してもっと詳細をお伝えいただけますか? とりあえず、自宅を出てから集合場所に辿り着くまでの話をね」
あんまりな言いぐさだな。お前はミヨキチの実物を目の当たりにしていないから冷淡でいられるんだ。
まあいい。高校一年生春期休暇最後の日の俺的|回顧録《かいころく》をそんなに聞きたいのなら、先を急いでやるさ。しかし古泉、そこはお前も登場人物として出てくるんだぜ。何があったかなんて解ってるはずじゃないか。
「自分のことに興味はありませんね」
古泉は指先で花びらをもてあそびながら、
「僕の関心対象はそこにはない。しいて言うなら、あなたの目を通した自分の姿がどう映っているのか気になるくらいですが、やはり些末《さまつ》なことに過ぎません」
薄ピンクの花を弾いて捨てた。
「続きを」
◇◇◇
いつものように、俺は自転車に乗って駅前に飛ばしたさ。
SOS団集合ルールその一、最後に来た者が全員に奢《おご》るという縛りはいまだにいきていて、俺は俺以外の者に奢られたことはまだない。たまには饗応《きようおう》される側、特にハルヒにそうされたいという思惑が俺の脚を叱咤激励《しったげきれい》するのもいつものことだが、どういうわけか狙ったようにハルヒは俺のほんの少し前に到着するようで、あいつ、どっかに隠れて俺の様子を監視してるんじゃないだろうな。
というようなことを思いつつ、駅前線路沿いで駐輪場の空きスペースを探していた俺の背中に、声がかけられた。
「やぁ、キョン」
「うわ」
それは不意打ちに近かった。なんせすぐ背後から声がしたんだ。ぼんやりと自転車を押していた俺が、一瞬両の足裏を地面から飛び上がらせてしまったのも、無理はないだろう。
反射的に振り返り、声の主《ぬし》を見て取った俺は、思い出すより先に口を開いていた。
「なんだ、佐々木か」
「なんだとは、とんだご挨拶だ。ずいぶん久しぶりなのに」
佐々木も自転車のハンドルに手をかけて立っている。その顔には言葉と裏腹に、どこか柔らかい皮肉に包まれた微笑が浮いていた。
「キョン、そう言えばこの前、須藤《すどう》から電話があったよ。なにやら三年時のクラス一同で同窓会をしたがっていた。彼は直接的に言わなかったが言外《げんがい》のニュアンスや数々の傍証《ぼうしょう》を鑑《かんが》みるに、どうやら当時の女子の誰かに未練たらたらの恋心を抱いているみたいだな。僕が察するところによれば、須藤が執着している相手は女子校に進路を取った岡本《おかもと》さんではないかな。覚えてるかい? 癖っ毛の可愛い新体操部の。今年の夏休みにどうだろうと言い出すので、いいんじゃないかと答えておいた。実際のと
ころ、僕はどうでもいいんだが、キミはどうだ?」
やると言うんだったらそりゃ行くさ。けっこう親しくしていたのに、卒業式以来見ていないヤツが何人かいるしな。いまいち顔の思い出せない岡本の隣の席は須藤に譲るが。
佐々木は形容しがたい独特の笑みで唇をくつろげ、
「そう言うと思った。だがね、キョン。その中学校の卒業式以来になってるヤツの中に、当然僕も入っているんだろうね? 実際、キミと会うのは揃《そろ》って卒業証書を拝領したあの日以来、一年以上ぶりだ」
片手をハンドルから離した佐々木は、時間の経過を表すように手のひらを回転させた。
「キョンは北高《きたこう》だったな。どうだい? 愉快な高校生活をつつがな
く送れているかい?」
愉快かどうかは評価の分かれるところだが、少なくとも今の俺は不愉快じゃないな。面白いと思ってさえいる。俺が過ごしてきたこの一年の北高不思議ライフを話し出すと長くなるぜ。
「何よりだよ。僕には話すことがあまりない。決して面白くないわけじゃないけど、僕の行った高校には物理法則を揺るがすような出来事はなかったからね」
いいことだ。そんなもんがどの高校にもあったりしたら、面白がる以前に全国的にパニックだろう。
俺は元同級生の顔をためつすがめつして、中学生時代と変わっている部分を探しながら、
「お前は市外の私立に行ったんだったよな。有名進学校の」
佐々木はまた笑みの色彩を変えた。
「キミが僕のプロフィールを完全に忘却していなくてホッとした。そうだよ。おかげで授業についていくのに必死なんだ。今日も、」
と、駅の方へ揃えた指先を向け、
「塾に行かねばならない。電車に乗ってだ。まったく、勉強のために勉強しているという気分だよ。春休みという実感もなかった。そして明日になったらさらに遠く、電車通学が待っている。満員電車ほど慣れないし慣れたくもないものはないね」
北高行き急勾配《きゆうこうばい》ハイキングといい勝負だな。
「健康的でいいじゃないか。僕は市立がよかった。須藤が羨《うらや》ましい」
何がおかしいのか、佐々木はくっくっと真似のできない笑い声を漏らし、
「ところでキョン、このローカル私鉄駅に何の用向きだ? 乗車する列車の方向が同じならば、積もる話もあるし、同席するに否《いな》やはないが」
俺は腕時計を確認する。しまった。集合時刻三分前だ。
「すまんが佐々木、ツレと待ち合わせてるんだ。時間に喧《やかま》しいヤツでな、遅れたら何をしでかすか解らない」
「ツレ? 高校の? へえ、そうかい。じゃあ、急いで自転車を置いてこなくてはね。ああ、ご心配なく。僕は毎朝止めてるので有料駐輪場と月極《つきぎめ》で契約してるんだ。それがどこかと言うと、」
佐々木はすぐそばの自転車置き場スペースに自分のチャリを突っ込み、施錠《せじょう》すると俺の顔を覗き込むようにして、
「ここだ。キョン、キミがお連れさんの待ち合わせ場所に行くまで付き合せてもらいたい。キミの友人なら僕の友人も同然さ。ぜひ尊顔《そんがん》を拝ませていただきたいものだね」
拝んでも御利益はないだろうが、佐々木がそうしたいなら構いはしない。紹介したところで佐々木の人生に何らプラスされるものはないだろうと思いつつ、朝比奈さんの愛くるしさを教えてやることは自分の手柄でもないのに誇らしい。
俺の駐輪場の空きスペースを探したり、自転車止めて小銭を払ったりする間、佐々木はショルダーバッグを提げて付き従った。歩きがてら中学時代の四方山話《よもやまばなし》なんかを咲かせていたが、SOS団|御用達《ごようたし》の駅前集合地点が見えてきたあたりで、
「キョン、キミは変わってないな」
呟くように言う。
「そうか?」
「ああ。安心したよ」
なぜ佐々木に安心されねばならん。見た感じ、お前も全然変わってねえぞ。
「だとしたら、僕はまるで成長していないことになるね。身体測定を信じるのであれば、身体的数値はそこそこ変化しているはずなんだが」
俺だってちったあ背が伸びたんだぜ。
「失敬、そういう意味ではなかったんだ。見た目は変えようと思えば変えられる。たとえば髪を伸ばしたり切ったりするだけでもかなり印象は変化するものさ。簡単に変わらないのは中身だよ。良くも悪くもね。人間の意識が物質に宿るものだとしたら、構成物質をよほど違うものにしない限り考え方や物の見方もそう異ならないんだろう」
俺は妙に懐かしくなってきた。思い出した。そうだ、佐々木は中学時代からこういう小難しい喋りをするヤツだった。
「あるいは」
と、佐々木は歩きながら続ける。
「考え方が一変するような聖パウロ的、またはコペルニクス的転回がない限り──だね。世界の変容はイコール、価値観の変容なんだ。それがすべてだと言ってもいい。なぜなら、人間は己の認識能力を超えた事象を決して正しく理解することはできないのだからね。僕たちの目は赤外線を見るようにはできていないが、蛇は熱映像視野を持つ。僕たちの耳は一定以上の周波数になると音として感じないが、犬たちは超高音波が聞こえる。どちらも人には見ることも聞くこともできないけど、赤外線や犬笛の音は存在しないんじゃない。ただ感知できないだけなのだと
思いたまえ」
マジで北高に来ればよかったかもな、佐々木。お前と話の合いそうな野郎が一人いるぜ。ちょうどいい、今向かってる最中の到達地点で待っているはずだから、この機に知り合いになっておくか?
俺が提案しかけた時、いつしか俺を除くSOS団全員の姿はもう間近に迫っていた。
〔#地付き〕──つづきは文庫『涼宮ハルヒの分裂』で楽しんでね!!
〔#改ページ〕
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ザ・スニーカー 2007年4月号
小説冒頭100枚先行公開より
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